説教
설교
歴代誌上29:11-14
すべては主のもの
趙聖模 牧師
序論:
聖書はすべてのものは主のものだと語りながらその属性を私たちに与えると言います。
1. 力です 11-12節
11節には“力が主のものだと言い12節には *勢いと力*が主の御手の中にあると言います。
ダニエル書2章20節には*力は神のものだと言っています。しかし、この力を神様は人間に与えます。ダニエル書2章23節でダニエルは*主が力を私に授け*と話しています。パウロは神様が自分を強くしてくださったと言っています。
(テモテⅠ1:12)
2. 勝利です。 11節
勝つことです。戦争で互いに勝つために戦いますが勝利の主である神様が与えなければ勝利することはできない。ですから、戦いは主のものだと聖書は言います(サムエル上17:47)。
知恵の王であるソロモンは戦いの日のために馬が備えられるが、救いは主にある*と言いました(箴言21:31)。
即ち、戦いに勝つために馬を備えるが、勝ち負けのカギが、備えた馬にあるのではなく、勝利を与える神様が救いを与える時、勝利するとのことです。
ですから、詩人はこの事実を裏付けて説明します。*王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。
馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない*と言います(詩編33:16-17)。しかし、パウロは*わたしたちの主イエスキリストによって私たちに勝利を与えた*と言いました(コリントⅠ15:57)。どんなに感謝すべきことなのか?
3. 主権(国)です。
神様の主権とは宇宙の中で行われるあらゆることを神様が独断に御心のままに行うことを意味します。即ち、宇宙の中でなされるあらゆる出来事の究極的な原因を神様の御心に帰することです。国の復興と滅びと成功と衰退、個人の生と死、成功と失敗まで主にかかっていることです。
ネブカドネツァル王は自分が偉いためバビロンを建てたと思い、自分の権力の偉大さと威光の尊さで建てたと自慢しました(ダニエル4:30)。
このような高慢な王に神様は主権があることを示されました。その証拠に7年間王の位から追い出したのです
(ダニエル4:25,32,35) 神様が彼に力を与えたので国を治めることができたのです(ダニエル2:37)。
神様の主権は何でしょうか? 神様は人を低くしたり、高めたりすると聖書はいいます(サムエル上2:7)
4. 富と栄光です。12節
聖書は言います。*主は貧しくし、また富ませる*(サムエル上2:7)。神様が貧しくするときには人間の力で富と栄光を維持する者はいない。しかし、神様が富ませてくだされば貧しさから抜けられないものはいません。
5. 大いなる者にします。
ベツレヘムの田舎で羊の世話をしていたダビデを神様が名声を与えた時にはサウル王の力でも彼を防ぐことはできなかったのです(サムエル下7:8-9)。
6. 強くします。 12節
神様は予言者エレミヤを国全土に向けて、堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として、ユダの王やその高官たち、その祭司や国の民に立ち向かわせた。
ですから、彼に勝つ者はいなかった(エレミヤ1:18-19)。
神様が愛する民たちにこのような恵みと力を与えることを切に願い主の御名で祝福します。