説教
설교
神様が助けます (詩篇46:1-5) 趙聖模 牧師
序論: 私たちがイエスを我が救い主として信じ神様の民になると我らの主なる神は我々を死ぬ時まで導いてくださいます。ですから、人生において険しい試練と苦しみが来ても恐れることはありません。全能の神様だけが私たちの永遠の避け処となり、私たちの助けとなるためであります。では、その神様はどんな方でしょうか?
1.人生の避け処になります(1節)
苦難と逆境が迫ってくる時私たちの真の避け処となり力となる方はただ神様一人だけです。苦難の日に人を頼るよりは神様に頼らなければなりません。なぜならば、神様だけが私たちの力であるからです。詩人ダビデも*主よ、わたしの力よ*(詩18:1)と証言しています。苦難と試練は予告なしに訪れます。
しかし、神様を畏れる人たちには神様が避け処となり彼らを胸に抱いてくれます。その胸の中で平安と安らぎを得ることが出来ます。
箴言18章10節には*主の御名は力の塔。神に従う人はそこに走り寄り、高く上げられる*と証言しています。
苦難の日が私たちにあっても恐れることはありません。主の名を呼ぶと救いを得ることが出来ます。神様は私たちが逃げることのできる避け処であるので私たちは神様の内で安全であります。
2.恐れをなくします(3節)
*私たちは恐れません*
神様が私たちを守るなら誰が我らに立ち向うことができよう? 神様が我らの味方になれば誰も私たちに危害を与えることは出来ません。
ですから、神様は私たちの力となり盾となるため乏しいことはありません。
陸地がなくなり海に投げ込まれることを想像してしてみてください。また、海の水が騒ぎ恐ろしい音をたて、その波が海辺を飲み込んで山々が揺れることを仮定してみてください。
万が一、地がなくなるとしたらこの地に埋めていた宝に何の意味があるでしょうか? この地にだけ宝を蓄えた人には希望がないでしょうが、神の国に希望を置く人にはどんな恐れも及ばないでしょう。
苦難が襲ってくる時に人間の心を取り囲むのは恐れです。この恐れが不安と恐怖を引き起こします。第2次世界大戦のとき戦禍で死んだ人よりも恐れと不安と恐怖で死んだ人がより多かったと言います。
箴言4:23節には*何を守るよりも、自分の心を守れ*と聖書は証言しています。なぜなら、命の根源が心から出るからであります。
3.喜びを与えます(4節)
苦難によって憂鬱で悲しい状況であっても教会には喜びがあります。
*神の都に、いと高き神のいます聖所に喜びを与えます* 恵の契約は*川*であり、その契約の中に含まれている約束は*小川*であります。即ち恵の聖霊は川であります(ヨハネ7:38-39)。
神様の恵みと平安が溢れる通路は即ち教会です。教会は神様が臨在するところであり、神様の栄光がある聖なるところです。神様の宮で恵みを受ける時喜びが満ち溢れます。恵が溢れる教会がリバイバルします。聖霊が満ち溢れる時苦難も耐え抜くことが出来ます。
海が荒波をたてるときに苦難を受けるのは事実であるが、全能である神様が荒波よりもより高い岩の上に導いてくださるため苦しんだり恐れる必要はありません。
3.助けを与えます(5節)
*夜明けとともに神は助けを与えます*
神様が世を裁きます。そして平地が水に覆われ山が消え去るときも*一つの岩*は堅くそびえたちます。(イザヤ2:2)*主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち*と証言しています。
すべてのものが嵐の前に震えている時にもここには安全で平穏があります。その理由は何でしょうか?その都を守る兵士がいるからですか? 違います。
神様がその都の中にいらっしゃるからです。 神様がその都の中にいらっしゃるから夜明けに神は助けを与えます。
結論:
地が滅びてなくなっても教会は存在するのです。ですから、神様が都の中にいらっしゃれば揺らぐことがないように、私たちと共にいらっしゃれば恐れることはありません。
神様は夜明けに助けを与えます。朝の時間を神様に捧げましょう。必要な時に助ける恵を思い慕いながら神様だけに頼る信徒になることを祝福します。