説教
설교
題目:従う者の祝福 趙聖模 牧師
聖書:レビ記 26:1-13
序論:
世の中には不思議にも強い権力者が亡命者となり、大金持ちが乞食になったりします。私たちは失った歳月を回復させることも大事ではあるが来る歳月を管理するのはより重要であります。余生が短いほど残りの時間はより重要であり切実なものであります。
キリスト教は言葉の宗教であります。従順を最優先に語り強調しています。ですから、聞き従うことはいけにえにまさります(サム上15:22)。聖書には数多くの祝福の言葉があります。
この祝福を受ける秘訣は右にも左にもそれない(ヨシュア1:7)で神様の御言葉に従うことです。従う時に天の扉が開きます。奇跡が起きます。
今日の本文によると神様は二つのことを話しています。従順に対する報いは希望を与えることであり、不従順に対する懲罰は恐れを与えることです。
ですから、知恵のあるクリスチャンは神様の御心に従いその方向へ向かって行く事です。今日の本文で教える御言葉はとても重要であります。
1節によると偶像を拝んではならないと警告しています。すなわち、宗教的な目的でいかなる種類の偶像や彫刻を造ってはならないと教えています。
どんな罪よりも偶像崇拝する罪は神様に裁かれます。
私たちは神の存在とその方の主権と権能を信じなければなりません。ですから、彫像を造りそれに拝んではなりません。
2節には安息の日を守るようにと言われています。そして聖所を敬いなさいと言われています。主の日を聖別して守ることが信仰成長の秘訣であります。
礼拝が始まる前に来て祈り、神様を高める心で賛美する人が神様の栄光を表す人です。イスラエルの民が御言葉通り従えば約束された祝福が与えられます。
1. 豊かな作物を実らせます(4節)。
*私は時季に応じて雨を与える。それによって大地は作物をみのらせ、野の木は実をみのらせる* *時季*という言葉は *その季節に*という意味です。イスラエルの民がいつ豊作の祝福を受けますか?
時季に応じてその季節に合わせて雨が降ることで豊年を迎えるのです。雨が降るがいつでも降ってしまうと洪水になります。
あまり少なくも、多くもない雨が彼らの土地に必要な適切な雨を降らします。彼らの土地が空の露でぬらして作物を実らせます。(申命記11:10-11,14, 28:12)
ですから、私たちが御言葉に従うと雨を降らす時間までも合わせてくださると約束します。
神様はその土地で豊かな穀物を与えます。穀物とブドウの収穫をさせます (5節)。即ち彼らが穀物の収穫が終わるまでにはブドウがみのり、収穫を待つことになります。そして、ブドウの収穫が終わる前にすでに新たな種まきの時期がめぐってきます。
ですから、倉に余った穀物を出して貧しい人に分け与えなければなりません。
箴言11章26節には *穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買う*と書かれています。聖書で殻は高慢な人を実は謙遜な人を意味します。
殻は火で焼き払われるが実は倉に入れます。ですから貧しい人は食べて満ち足りるようになります(詩22:26)
しかし、どんなに穀物を豊かに与えたとしても16節のように敵がそれを食べつくしては虚しいものではありませんか? 豊かに与えるがその穀物を敵が持っていかないようにします。
2. 平安を与えます(5節)
*国のうちに平安に暮らす*
真に安全であり不安からも安定を取り戻します。
6節には*私は国に平安を与え、あなたたちは脅かされることなく安眠することができる* (詩4:8)
6節に彼らは猛獣の攻撃を受けない。猛獣を国から一掃します。神様のもとに身を寄せるものは安全である(詩91:1)といいます。
3. 数を越え勝利を与えます(7-8節)
五人で百人の敵を追撃することは、百人は2千人を追撃すべきですが、万を追撃すると言います。それは数を超えた勝利であります。神様の御言葉に従う民たちは家の中で平安と安定を得ます。
外では戦争で勝利を得ることになります。まるで、ヨナタンが行ったようにあなたたちの中で5人が百を攻撃して追い出す勇気を持つようになると言うことです。(サム上14:12)
4. 子を産ませその数を増やす祝福を与えます(9節)
*あなたたちに子を生ませ、その数を増やす*
アブラハムの子孫を大地の砂粒のように繁盛させる約束とその約束が成就されることを語ります。
異邦人がイエスを救い主として信じ霊的なアブラハムの子孫になることを予言したのです。
ヨハネ15章16節によると *あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るように*と主は語っています。繁盛の福は実を結ぶことです。
5. 神様が愛すると約束します(11節)
*あなたたちを退けることはない*
即ち愛してくださるとのことです。何だかんだ言われても神様の愛を豊かに受けるとのことです。9節に *私はあなたたちを顧みる*と言っています。
これは私があなたたちを見守るとのことです。私たちの信仰の目が神様に向かうと神様の恵みが私たちに留まることになります。
結論:
私たちは生きるも死ぬも、去るも留まるも神様の御言葉に従って生きてください。神様の約束された祝福を受け、その祝福で奉仕し主を伝えながら生きることを願います。