「主は私の羊飼い」

おはようございます。尼川匡志です!

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」

 旧約聖書の中にある詩篇23篇の中の1節です。とても有名な詩ですから皆さんも一度ぐらいはお聞きになったことがあるかもしれませんね。ここで羊と書かれているのは私たち人間のことです。羊飼いとは全てのものをお造りになった創造主、神のことを指しています。この詩篇の作者は言います。「私は、乏しいことがありません。」と。彼は完全に満足して自分の人生を歩んでいると言えるんです。

カット

 私たちは誰もが幸せになることを求めています。どのようになることが幸せであるのかは、それぞれ個人の価値観や捉え方によって異なることはあると思います。しかし一つ言えることがあります。人が幸せを感じるかどうかは、その人が満足しているかどうかにかかっているということです。もし満足していなければ誰も幸せと思いません。
 さてこの詩篇の作者は満たされていました。だから乏しいことはありません。と告白することが出来たんです。ではこの人は物質的に豊かであったから乏しいことがないと言ったのでしょうか。そうではないのです。彼が満足を感じたのは、今日あっても明日無くなってしまうようなものによるのではありませんでした。心の内のことなんです。いくら物質的に豊かであっても心の中に虚しい空洞を抱えていれば決して幸せと思うことは出来ません。でもいろんなものが欠けていたとしても、その人の心の内が完全に満たされているなら、その人は乏しいことはなく幸せを味わうことが出来るんですね。「物質的なものは必要無い、大切なのは精神だ。」そんなことを言うつもりはありません。言いたいのは、たとえ病気がちで貧しくても満足して生きて行く人もいれば、逆に健康でたくさんの資産を持っていてそれでも不満や不平で心がいっぱいになっている人もいるということなのです。この両者の違いは一体何なんでしょうか。
.................................