題目 イエスにえた

 

趙聖模 牧師

 

聖書 ヨハネ176-10

 

序論

 

時代転換危機時代であり真理不透明多元化時代でありますイエスのにもいをることができるという混沌時代であります 宗教改革者ジョンカルバン(John, Calvin) わたしたちはキリストのからいをめようとしてはいけない強調しましたたちの十字架にしてする弟子たちのためにしのりをしますそれはイエスにえられた々のためのりですではイエスにえられた々とはのことでしょうか

 

1.イエスの弟子だけでなくイエスをとしてじるての々です(6

 

からしてわたしにえてくださった々にわたしは御名わしました ここでわたしにえられた々というのは創造神様がキリストにおいておびになったたちをいます。(エフェソ14)。たちがばれたのは功労いではありませんただ神様御心によってばれたのでありますたちがいをられるのはではなくイエスのによってのみわれます使徒412)。

 

わたしたちがイエスをじるにはりをけるべきでしたエフェソ23)。 しかしわたしたちは神様めとによってわたしたちのであるイエスキリストのによってわれましたエフェソ17)。このみはての宇宙万物ともえがたい神様であります

 

使徒パウロは もってっておられたたちを御子姿たものにしようとあらかじめめられましたそれは御子くの兄弟長子となられるためです

 

はあらかじめめられたたちをしたたちをとしとされたたちに栄光をおえになったのですローマ829-30証言しています

 

神様たちを創世からおびになりイエスのによっていましたそしてわたしたちが罪人であるにもわらずとされました最終的るときにはわたしたちが栄光になると聖書せになります

 

2.イエスキリストが御子であることをじるたちです8

わたしがみもとからたことを本当あなたがわたしをおわしになったことをじたからですせになります

 

イエスキリストをじる信仰はとても重要です重要なのはイエスキリストが御子であることをじなければなりませんイエスキリストは全能神様です

 

初代教会異端アリウスAriusイエスは人間のように被造物としてられたといました。 しかしアタナシウスAthanasiusイエスキリストは神様同等だと主張しましたペトロはあなたはメシアけるですマタイ1616証言しましたこのような神学論争においてアタナシウスが勝利したのでわたしたちがしい信仰告白ができます

 

いトマスも復活したイエスにいわたしのよと告白しますヨハネ2028)。 使徒ヨハネはじる自分にこのしがありじない御子についてなさったしをじていないためにしてしまっていますヨハネ510といい、19にはわたしたちはっていますわたしたちはするですがこの世全体支配下にあるのですされています

 

わたしたちは中間地帯にはまることはできません御子じるかそれともサタンにされるかつのつでありますたちがイエスをによってたちはばれ御子キリストのによっていをたのが如何いであるか

 

御父わたしたちをからしてそのする御子支配下してくださいましたコロサイ113聖書いますたちがイエスをじてからはされました

 

3.栄光わす々です。10

 

わたしはらによって栄光けましたわれます

自分自身はどんなにりないかかりませんくにもがどうやって栄光わすことができましょうか? たちは無知かでちと失敗存在ですそれなのにどうやって栄光わすことができますか

 

しかしたちをして神様栄光けることをみます。17にはましたあなたのがあなたの栄光すようになるために栄光えてくださいります

 

つまり御子キリストはなる神様最高対象者であることを意味しますですからこれはたちのがご自身じる々により栄光けられじるらをってくださいとなる神様めています

 

そしてには御前でわたしに栄光えてください世界られるわたしがみもとでっていたあの栄光っています栄光のギリシアトクサです 韓国語でトクサは毒蛇ですしかしここではその毒蛇ではありませんこれは栄光”“という意味です

 

らのイエスキリストはりですヨハネ812)。であるイエスキリストに暗闇うことはありませんたちは彷徨たちをのもとへかなければなりません

 

がどうすれば栄光わすことができるでしょうか らのイエスキリストの栄光りである十字架してじてたために栄光けたといます

 

たちは完全堕落した存在でありますそして腐敗していのする罪悪いものですそれにもかかわらずたちを栄光わすだといますたちが栄光だなんてどんなにしいことか

 

われます“10:27 わたしのはわたしのけるわたしはらをっておりらはわたしに10:28 わたしはらに永遠えるらはしてびずだれもらをわたしのからうことはできない

ヨハネ1027-28)。

 

たちにえるのは永遠でありいですこれを武力ではうことができないとわれますですからたちは々しくなり大胆になりましょうらない観点ると十字架であり蔑視象徴です弟子たちも実際苦難るとどうなるかからないたちです

いつでも挫折してれる可能性がありますしかし使徒たちがイエスキリストの復活目撃したには証人となりますキリストの御言葉大胆宣布しそののために苦難栄光わします

 

人間窮極的目的でしょうか? わたしたちの生活でこの御言葉宣布することですこれが栄光げることですですから御言葉たちはとしてのイエスキリストを信頼しなければなりませんたちがキリストの福音宣布うことはには栄光でありたちにも栄光になります

 

結論

 

たちはくてしいですしかしたちはでありイエスキリストの兵士ですイエスキリストを御子としてじる信仰毎日告白しましょうてもなくても毎日イエスキリストをしして一人であってものもとにきましょう

 

十字架兵士として十字架栄光りをわしましょうそして神様栄光たち自身にもみとびがれることを御名祝福します