説教
설교
喜びで感謝しなさい (詩篇100:1-5) 趙聖模 牧師
序論:
数ヶ月前に愛するインドネシアの宣教師から1通のメールが届きました。9月25日に自分の宣教地から近い地域の教会で自爆テロがあったということです。それほど大きな爆弾ではありませんでしたが、20人が怪我をして病院に入院して手術を受けたそうです。
愛する信徒の皆さん! *自分が生きていることについて感謝したことがありますか?自分が生きていることを思うだけでも全ての苦しみを乗り越える力が生まれてきます。感謝は我らのクリスチャンたちにとっては、いつも感謝であり、どんなことにも感謝であります。たまに感謝するのではなく毎日感謝し、生涯において感謝しなければなりません。
皆さんの心の中に感謝がありますか? 平安がありますか? 喜びがありますか? 収穫感謝節を迎え、皆さんの心に今より5倍、10倍以上の感謝が溢れることを切に願います。では、クリスチャンの感謝の方法と理由について御言葉のなかで恵みを分ち合うことを願います。
1. クリスチャンの感謝の方法は何でしょうか?
1) 神様に喜びの賛美を捧げることです。1節
*全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ*と聖書は証言しています。賛美は喜びに満たされて神様に捧げなければなりません。顔には喜びが溢れ、心にも楽しみがなければなりません。
賛美は私たちの特権であります。神様を高らかに称えることは一生涯しなければならない使命であります。だから、詩人は詩篇104編33節で*命のある限り、私は主に向かって歌い、長らえる限り、わたしは神に褒め歌をうたおう*と言っています。
わたしたちが祈ることは重要です。しかし、神様に賛美を捧げることは神様に栄光を捧げることになります。
2) 神様に仕えることです 2節
*喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進みでよ*
喜びで神に仕えることは愛の表現であります。悲しい顔で神に仕える人たちは自分自身にも不快感を与えることになります。ですから、それは神様に仕えることにはなりません。
わたしたちは主を喜ばす時に強くなります。その喜びは苦難を取り除く役割をします。喜びと仕えの関係は潤滑油と車輪の関係のようです。潤滑油がなければ車輪の軸が熱を受けやすくなり事故に繋がります。聖なる喜びを持つ時に本当の神様に仕えることができます。また、神様が栄光を受けられます。
3) 礼拝に感謝が溢れなければなりません。4節
*感謝の歌を歌って主の門に進み、賛美の歌を歌ってその庭に入れ、感謝をささげ、御名をたたえよ* *その門*と*庭*は聖殿を意味します。礼拝時間ごとに私たちは喜びの歌だけではなく、賛美の歌を歌わなければなりません。
私たちは神様が与える喜びを持って神様に栄光をささげなければなりません。神様が私たちの喜びを通して賛美を受けるようにしなければなりません。また、神の聖殿に入るたびに賛美と感謝があふれなければなりません。
そこに慈しみの微笑みがあります。ですから、いつも宴に参加する人でなければなりません。そして、いつも主の前に礼拝する者たちは祝祭の礼拝を捧げるのです。礼拝の目的は神様だけに栄光を捧げることです。
2. クリスチャンが感謝しなければならない理由は何ですか?
1) 救われた神様の民であるからです。3節
*私たちは主のもの、その民、主に養われる羊の群れ*
神様は私たちを造られ養う方です。私たちは神様のものです。なぜなら、私たちがその民であるからです。私たちは神様が養う羊であるためその方が見守り導く羊です。
ですから、その方に全て委ねられています。詩篇95偏7節には*主はわたしたちの神、私たちは主の民、主に養われる群れ、御手の内にある羊*と証言しています。私たちを造られた神様は私たちを養う方です。また、私たちにあらゆる良いものを豊かに与えます。ですから、私たちは救われた民として感謝しなければなりません。
2) 主は慈しみ深い方であるためです。5節
*主は恵み深く、慈しみはとこしえに、主の真実は世々に及ぶ*
*主は* 即ち*ジェホバ*(YAHWEH)はどんな神様ですか? 主なる神は唯一生きている神様を意味します。尊く真の神様です。永久に変わることなく、完全であり、自ら存在する方です。
そして万物の存在の根源になります。
しかし、私たち自身を振り返ると汚れと失敗だらけの存在であり、正直でない人間であります。また、不完全であります。
このように主なる神(YAHWEH)の慈しみがとこしえのものであるため私たちは当たり前のように感謝し、賛美しなければなりません。
慈しみは何を意味しますか?
神様の愛の御手を意味します。優しさを意味します。
収穫感謝節の感謝は一年間の感謝であります。聖書を見ると*感謝しなさい*という言葉は178回出ています。聖書は神様に感謝しなさいと命じています。
健康な時も感謝し、病気のときも感謝しなければなりません。名誉があっても感謝し不名誉なときも感謝しなければなりません。なぜなら、聖書は *どんなことにも感謝しなさい*(テサロニケⅠ5:18)と語っています。
人の行く道は変わることがありますが、神様の道は永遠に変わりません。幸せは他ではありません。感謝が幸せです。財産がどんなに多くても感謝がなければ不幸であります。音のしない鐘は鐘ではありません。
信徒は感謝ができる時に信徒といわれます。小さな不平のために大きな感謝を失わないでください。
小さな恨みによって賛美をやめないでください。
なぜなら、神様の哀れみは永遠であるからです。それは決して渇くことのない泉です。そして、その方の変わらない真実と誠実さのゆえに神様に生涯感謝しながら生きなければなりません。
結論:
神様の計り知れない恵みと限りない慈しみが私たちを見守っています。私たちは残りの人生を神様の栄光のために主を称える賛美をしながらどんなことにも感謝する人生を歩むように主の御名で祝福します。アーメン !